貯めてしまっていませんか?
命にかかわる睡眠負債

日本人の平均睡眠時間は、世界で最も短いといわれています。「毎日が睡眠不足」という方も少なくないのではないでしょうか。慢性的な睡眠不足が続くと、簡単には解消できない「睡眠負債」となり、私たちの命をむしばむのです。

監修:

西野 精治

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休日の“寝だめ”は睡眠負債のサイン!

 近年、日本人の1日の睡眠時間が6時間を下回ることが増えているといわれています。これは、世界でも最低の水準です。夜型生活が当たり前になった現代の日本では、多くの人が慢性的な睡眠不足、すなわち「睡眠負債」を抱えている可能性があります。
 睡眠負債とは、数日では解消できないほど貯まってしまった、慢性的な睡眠不足のこと。睡眠負債が貯まっていると、十分に疲れが取れないため、脳が少しでも休息を取ろうとして、日中強い眠気を感じたり、休日の「寝だめ」が習慣になるなどのサインが表れます。上のチェックリストを使って、自分に睡眠負債が貯まっているかどうかを確かめてみましょう。

 休日の寝だめは、かなりの睡眠負債が貯まっている証拠です。しかし、返済の手段としてはあまり効果的ではありません。健康な男女8人を対象に、1日中好きなだけ眠ってもらうという実験があります。実験開始前の彼らの平均睡眠時間は7時間30分。一見十分な睡眠時間のように見えますが、最初は全員が12~13時間近く眠る日が続きました。しかし、3週間後には彼らの平均睡眠時間は8時間10分で固定。つまり、彼らが生理的に必要とする睡眠時間は、実験開始前の睡眠時間よりも約40分ほど長かったのです。1日につき1時間未満というわずかな睡眠不足を解消するために、毎日12~13時間の睡眠を3週間も続けなければなりませんでした。わずかな睡眠不足でも、それが続くことによって、完済するのに非常に時間がかかる「睡眠負債」となってしまうのです。

イライラ、集中力ダウン…睡眠負債の弊害

 単なる睡眠不足とは違い、睡眠負債の害は、ただ「疲れが取れない」だけではありません。眠気による弊害のほか、心身の健康にも大きな影響を及ぼすといわれています。
 睡眠負債の弊害として代表的なものが、日中のパフォーマンスの低下です。日中も眠気が残るだけでなく、脳と身体の疲れが十分に回復していないため、脳の働きは酩酊状態のときと変わらないレベルにまで低下してしまうともいわれています。重大な事故につながることもあり、1986年に起こったスペースシャトル「チャレンジャー号」の爆発事故は、作業員の多くが多大な睡眠負債を負っていたことによるヒューマンエラーだという説が有力です。
 事実、睡眠負債が貯まっていると、「マイクロスリープ」という現象が起こることが確認されています。マイクロスリープとは、日中に1~10秒ほどの短時間、本人も気付かないうちに眠ってしまう現象のこと。脳が覚醒を維持できないほど強く睡眠を欲しているときに発生するといわれており、3~4日ほど睡眠不足の日が続くと起こりやすくなります。チャレンジャー号だけでなく、仕事中や運転中の事故などではっきりした原因が分からない人的事故は、ほとんどがマイクロスリープによるものだと考えられています。
 そのほか、睡眠負債が貯まると、認知症を引き起こすといわれる物質「アミロイドβ」が沈着しやすくなったり、免疫力が低下して発がんリスクが高まったり、血糖値を下げるインスリンの分泌量が減って糖尿病のリスクが高まったり、神経機能が低下してうつや不安神経症にかかりやすくなったりと、多くの健康被害を招きます。あるアメリカの研究では、国民の平均である7時間30分より3時間近く睡眠時間が短い人は、6年後の死亡率が1.3~1.4倍ほど高いという結果が出ているほど。時には命を脅かすこともある睡眠負債を返済する方法はあるのでしょうか?

“寝付きの90分”が睡眠負債返済のカギ!

 睡眠中は、脳も身体も深く休んでいる「ノンレム睡眠」と、身体は休んでいても脳は起きている「レム睡眠」が交互に繰り返されており、ひと晩のうちに4、5回ずつ、それぞれ約90分間のサイクルを繰り返すといわれています。睡眠負債を返済するには、寝付いてから90分の間に起こる“最初のノンレム睡眠”の質を上げることが重要です。なぜなら、最初のノンレム睡眠はひと晩の睡眠の中で最も深いため、貯まった睡眠負債を効率的に返済できるから。そのためには、すぐに深い眠りに就けるよう、寝付きをよくし、睡眠の質を上げましょう。
 しっかりとした睡眠を取るために寝付きをよくするポイントは、ベッドに入る前に体温を上げ、熱の放散を促すこと。眠っている間の身体は深部体温(内部の温度)が低く、反対に皮膚表面の温度は高くなります。子どもは眠気を感じると手足が温かくなりますが、これは身体の末端から熱を放散することで深部体温を下げ、寝付く準備をしているのです。ベッドに入る前にこの状態を作り出すことで、スムーズに入眠できるようになります。効果的な方法は寝る90分前までにお風呂に入ること。湯船に浸かって身体を温めることで体温が上がり、その熱が下がるころに自然な眠気が訪れます。
 また、日中を活動的に過ごすことも大切です。睡眠不足が続いているときは、できるだけエネルギーを消費しないように過ごしたくなりますが、実はこれが夜の睡眠の質を下げてしまいます。日中の活動量が足りていないと、夜になっても脳が覚醒した状態が続いてしまい、寝付きが悪くなるのです。
 どうしても日中に眠気がきてしまうときは、仮眠で効率的に休息をとりましょう。日中の20分程度の仮眠には、睡眠負債によって低下した脳の働きを大幅に改善する効果が認められています。
 睡眠負債の返済には時間がかかるもの。日々の睡眠の質を上げることでこまめに返済すれば、大きなリスクを防ぐことができます。

※記事内容は、執筆時点2020年8月1日のものです。

西野 精治(にしの せいじ)
スタンフォード大学医学部精神科教授、同大学睡眠生体リズム研究所(SCNラボ)所長、医師、医学博士。1999〜2000年、過眠症の一種である「ナルコレプシー」の発生メカニズムを解明し、2005年にSCNラボ所長に就任。株式会社ブレインスリープ最高経営責任者(CEO)。著書に『スタンフォード式最高の睡眠』(サンマーク出版)、『熟睡の習慣』(PHP新書)、「睡眠障害」(角川新書)など。

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