〜認知症を考える〜
最期まで家族は家族のままでいい

患者と家族はどのように認知症と向き合えばいいのか。認知症専門病院で多くの患者とその家族に接してきた今井氏に話を伺いました。
◇インタビュー◇ 医療法人 社団翠会 和光病院 院長 今井 幸充 氏

認知機能が低下して生活に支障が出る状態が、認知症

 脳の何らかの障害によって認知機能が低下し、日常生活を営めなくなる状態を、「認知症」と呼びます。
 認知症と「もの忘れ」は同じものではありません。もの忘れは記憶の障害であって、忘れっぽくなったとしても生活に支障を来していなければ、認知症ではありません。生活が正常に営めているかどうかが、認知症ともの忘れの分かれ目です。例えば、同じ品物を何度も買ってくるとか、料理の味付けの仕方が分からなくなるとか、お金の管理がルーズになって銀行から不必要に大金を引き出すといった状態は、認知症を考えます。
 また、生活に支障はないけれど、記憶検査をすると平均より少し低いという人がいます。この状態を「軽度認知障害(MCI)」といい認知症ではありません。しかし軽度認知障害の人は、約半数が4年以内にアルツハイマー病になるというデータもあり、認知症のハイリスカーとして注意する必要があります。
 認知症にしても、軽度認知障害にしても、早期受診・早期発見・早期診断が、とても重要です。早期に発見されれば、アルツハイマー病の場合、投薬によって病状の進行をある程度抑えることができます。軽度認知障害の場合では、投薬の他にも、認知症予防に効果的な生活を営むことで、認知機能の低下をある程度防げるといわれています。
 大切なのは、本人や家族がもの忘れに気付いたらできるだけ早い時期に受診することです。そうすれば、これからの生活の組み立てや、家族の支援の在り方を話し合うことができ、余裕を持って対応することができるでしょう。

ケアも治療の一環。家族を含めたケアが重要

 認知症は、治る病気ではありません。ですから、「医療が何をなすべきか」は大変難しい課題ですが、私は、「ケアも治療の一環であり、家族も含め、良いケア環境を提供することが必要だ」と考えています。
 患者とその家族に対するケアは、たとえ認知症の専門医であっても、医師がひとりでできるはずがありません。医療・看護の専門家と介護・社会福祉の専門家が、それぞれの専門性を発揮し、連携していくことが重要です。では、どういった専門家が関わることになるのか、私たち和光病院の例を説明しましょう。
 当院は、認知症外来の他に、認知症看護外来を開設しています。認知症看護外来では、認知症看護認定看護師が、認知症の症状に応じた対処の仕方、日々の食事・排泄・入浴の介助などについて、相談支援を行っています。
 また、当院を受診した人には必ず担当のケースワーカーを付け、電話などによる家族からの相談の窓口としています。相談内容によって、医師、薬剤師、看護師に、それぞれつないでいきます。介護保険の介護サービスなど地域の社会福祉サービスを利用したい場合は、ケースワーカー、看護師が、“かかりつけ介護福祉”の役割を担います。
 さらに、自宅介護が困難になり施設への入所を希望する場合や、認知症以外の病気の治療のために入院が必要な場合は、患者と家族が大きな不安を持つことになります。その際には、担当の精神保健福祉士が支援にあたります。
 ——このように、たくさんの専門家が患者と家族を支えています。他にも、福祉の領域には在宅介護をサポートする専門家がいますし、認知症の人を受け入れるいろいろな形態の施設もあります。介護を一人で抱えることは無理な話で、専門家に任せられるところはどんどん任せばよいと、私は思います。

一番大切なのは、安心の下で生活すること

 では、家族の役割は何なのでしょう。
 患者、家族にとって一番大切なことは、「エンド・オブ・ライフを、本当の安心の下で生活できるようにする」ことではないでしょうか。そして、それは、他人任せでは実現できません。
 一人ひとりに、自分なりの生活パターンやスタイルがあって、好き・嫌いもあります。あるいは、それまでの歩みの中で大切にしたいライフイベントがあります。そうしたことを含み込んだ上で、エンド・オブ・ライフに向けていかに過ごし、自分はどういうエンド・オブ・ライフを迎えたいのか。—このことを、家族と話し合ったり、時間をかけて考えてほしい。その結果、本人が「元気で暮らしていきたい」という前向きな気持ちになれば、それは素晴らしいことじゃないですか。
 ところで、一人ひとりに自分なりの生活スタイルがあるように、家族には、その家族なりのスタイルや、つながりがあります。本人の思いを尊重することが大事なのと同じで、エンド・オブ・ライフに向けて、家族ごとの思い、家族なりのつながり方も尊重されなければいけません。
 よく「家族の果たすべき役割」が話題にされますが、それは、他者が明確な答えを出せる問題ではありません。私は「それぞれの家族が築いてきたものを大切にしてください。家族一人ひとりの思いを共有してください」と答えています。
 専門家の支援を受け、家族が介護の負担や苦しみから解放されれば、「本人と介護人」という関係から、「家族の一員同士」という元の関係に戻れるでしょう。その関係性は、家族にしか紡げない特別なつながりです。家族には、最後の最後まで家族でいてほしいと、切に思います。

認知症への支援で考えると介護保険制度は成功だった

 ひと昔に比べ、認知症を取り巻く介護環境は大きく改善しました。認知症に対する理解が進み、利用できる施設や支援の仕組みなど、社会的なインフラも整ってきました。その点では、日本の介護保険制度は成功したと思います。
 しかし今残念なことに、介護保険の給付は、財源の関係でしょうか、抑制される傾向にあります。制度は続けられるのでしょうか。
 例えば、夫婦二人が、それぞれの両親、合計4人の介護をしなければいけないとしたらどうでしょう? まず自宅での介護は無理で、介護を誰が担うのかという問題の他に、そもそも居場所をどうするのかという問題も出てきます。人口減少・高齢社会の日本にあっては、“介護を社会化する”介護保険制度は必要不可欠な制度です。
 とはいえ、どんなに必要な制度でも、社会が納得のいくサービスを受けられないとすると、制度は維持されません。つまり、現在と将来の高齢者を社会がどう支えていくかについて、国民的な合意が作られないと、介護保険制度は続いていかないと、私は考えています。ぜひ、皆さんも自分ごととして、介護保険は今のままでいいのか、将来どうあるべきかを考えてみてください。私も、読者の皆さんも、将来の高齢者なのですから。

聖マリアンナ医科大学大学院卒業。米国ハーバード大学ブロクトンVA メディカルセンターで研修の後、1989年、聖マリアンナ医科大学神経精神科講師。1996年、同大学神経精神科学教室助教授、同大学東横病院精神科部長。2001年、日本社会事業大学大学院教授を経て、2012年から現職。2016年6月から2018年6月まで日本認知症ケア学会理事長。

※記事内容は、執筆時点2023年8月1日のものです。

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